生保労連(全国生命保険労働組合連合会)は生命保険会社の営業部門・事務部門に働く労働者25万人(19組合)を組織する労働組合です。

生保労連のつなげる、つながるブログ

宮城県亘理町でのボランティア活動報告

 こんにちは、生保労連 新井です。

 報告が遅くなりましたが、5月10日~5月18日まで連合ボランティアに参加してきました。生保労連としては今回で3回目の派遣となり、津田書記長とともに宮城県亘理(わたり)町で活動してきました。

亘理町は仙台市の南にあります。ベースキャンプのある仙台市から亘理町に向かう途中には仙台空港もあります。

亘理町は、普段であれば本当にのどかな田園地帯だと思います(仙台平野の田んぼを津波が押し寄せているTV映像が亘理町の風景イメージに近いです)。被災者の方のお話ではお米といちごが名産でしたが、お米もイチゴも塩に弱く、また栽培できるまでにどのくらいの時間がかかるかわからないとのことでした。

 活動の前半は、町からの要請を受け、側溝にたまったヘドロや汚泥の除去を行いました。住民の方たちが復旧・復興に向け、自宅等の後片付けなどで手一杯の中、梅雨を迎えるにあたって、衛生管理等から必要な作業だったと思います。慣れない肉体労働でしたが、活動中に近隣の方から、「お疲れ様です」「ありがとうございます」と掛けていただいた声が、微力ながらも頑張るぞといった励みになりました。

 後半(2日間)は、民家でのガレキや流木の撤去、ヘドロ等の除去といった活動を行いました。民家の庭には背丈ほどもある流木等が積み重なっていました。それをいっしょに活動したメンバーの方たちと連携しながら、のこぎりで切断したり、がれき置き場に運んだりしました。

 今回の派遣で、少しでも被災地のお役に立てたのではないかと思うとともに、多くの連合の仲間の方たちと知り合い、ともに協力して作業できたことは私自身にとって、良い経験になりました。

 これからも1日も早い復旧・復興に向け、微力ながら、被災地・被災者の方のお役にたてればと思います。亘理町で、名産のお米といちごが栽培できるようになったら、是非、食べたいと思っています。

 ともに頑張りましょう。

後半2日目の作業日現場にて

東松島市での救援ボランティア活動

こんにちは。労働局の堺です。

4月24日から5月2日までの期間、連合のボランティア救援派遣として、宮城県で活動してきました。生保労連からは琴川副委員長、長﨑副委員長と私の3名の派遣です。

私たちが活動したのは東松島市の赤井地区・大曲地区という地域です。地元ボランティアセンターの要請に基づいて、被災した住宅地を巡りました。各産別から集まった約80名のメンバーがグループごとに担当エリアを決め、一戸ずつ飛び込みで、家主の方のニーズを聞き出し、その解決にあたります。

被災地域を巡る

主な仕事は、家屋や敷地内に流れ着いた漂流物の撤去、そして建物内外に残留しているヘドロの撤去です。毎日毎日ただひたすらにシャベルやスコップでヘドロを掻き出し、土嚢袋につめこんで運び出します。地道な肉体労働の積み重ねです。各産別から集まった人同士の即席のチームでしたが、私たちは労働組合の持ち味である「連帯」を発揮し、持ち前のチームワークで頑張ることができました。

被災地域は広く、被害も甚大であるため、復旧・復興には一定の期間を要します。一人ひとりの力は大きいものではありませんが、絶え間なく、途切れることなく、ボランティアの活動を続けていくことが、被災地の復旧・復興につながっていきます。

前向きに日常生活を立て直そうとする地域住民の方々の姿を目の当たりにし、私たちはこれからも応援を続けなければならない、と引き続きの支援の重要性を認識しました。

ヘドロを除去する作業

救援ボランティア

こんにちは、組織・政策担当の鈴木です。

 私たち生保労連は、東日本大震災で被災された方々への支援活動として、各種の取組みを行っています。その一環として、3月31日から4月8日まで、連合のボランティア活動(岩手・宮城・福島各県の被災地での救援活動)に早川副書記長とともに参加してきました。

 今回、私たちが派遣されたのは宮城県。仙台市に置かれたベースキャンプを拠点に、多賀城市と石巻市で活動を行いました。災害ボランティアセンターからの指示で担当した民家は、海から数キロ離れた場所でしたが、どこも一階部分はほぼ津波にのみ込まれていました。

田圃に流れ込んだヘドロと車(石巻市)

 主な活動は家財の撤去とヘドロの除去です。濡れた畳がこんなにも重いということ、津波はたんなる海水ではなくヘドロを運んだのだということ、そのヘドロが家屋や田畑に流れ込み深刻な被害をもたらしているということが、よくわかりました。

 ある民家の女性は、津波が襲ってくる直前に近くの大きな岩によじ登り、すぐ横の椿の木につかまったまま夜中まで救助を待ったそうです。通りがかった自衛隊のボートに懐中電灯で合図を送り、無事救出されたとのことでした。「普通の状態ではとても登れなかった」「懐中電灯を持って飛び出していなければ助からなかった」と、昨日のことのように話しておられました。そんな彼女も、話の途中で「いっそ死んでしまった方がよかった」ともらすのです。こうした一見矛盾した言葉も、被災された方々の複雑な心境を表しているのかもしれません。

 

ドラッグストアの店内(多賀城市)

街の復興・心の復興まで、個人でできること、組織としてできることを地道に続けていきたいと思います。政治や行政をしっかり監視していくことも、私たち一人ひとりに課された責務です。連合は、今後も一定の間、常時300名程度の規模でボランティアを派遣する予定です。これだけの人数を派遣できるのは連合だけであり、生保労連としても連合の仲間とともに、できる限りの支援を行っていきます。

 ともにがんばりましょう。